こんな下らんことやってる暇があったら自分らのゲームをもうちょい面白くしたらどうなんだ( ´_ゝ`)
パンピーがFF12で騒いでいるのを見るたびに哀しくなるLaCです。
…という前フリから、MOTHER3のお話へ.
伊集院光×糸井重里、どうにか入手できました。
しかし対談時間2時間ってw おまいら気が合いすぎww
(でも俺も全部うなずいてたけど
伊集院「MOTHER3がつまらなかったらどうしよう、と思って買った人って多いと思うんですよ」
まさにその通りですw
伊集院「糸井さんに対して『穴掘ってんじゃねぇよ』って僕の周りでもみんな言ってましたけど、あれおかしいですよねw」
まさにその通りです。
俺も言ってましたwごめんなさいw
伊集院「CD音質のクオリティの音楽が鳴ることをゲームに期待してないんですよ。
臨場感を生み出すのは音質そのものではないですから」
伊集院「僕は子供の頃、個々のセンスが結集していく、プレイヤーが制作者と同じ立場になっていく…
そういった方向にゲームが進化していくものだと思っていたんですが、
今のゲームは「これお前ら作れないだろ」というものが多いんですよね。
僕はもうゲームはできないのかなと思い始めていたところだったんです」
まさにそのt(ry
冒頭のFF12話と繋がりますが、
ゲーム最大の特長は「プレイヤーが作品世界に対して能動的働きかけを行うことが可能である」点にあるのであって、
それゆえの(プレイヤーと作品世界の)シンクロ率の高さこそが、
ストーリー系作品におけるゲームの独自性を担保してきたはず。
だが現状は、エロゲーにしたってCSにしたって、まともにあそびすらない一本道ゲーばっかりで。
これなら漫画や小説でも読んでるほうがずっと有益と考えて当然。
そういった完成された作品として「これお前ら作れないだろ」と提示されると、やはり文句言いたくなるんだよ。人間ってw
お仕着せがましいと少しのアラだって許せなくなる。
「え、なにこれ。完成されてるんじゃないの?」…と。
MOTHERは選択の幅を広げる、正しい進化をしていて安心した。
欠陥を前提としている作り方─生き方だってそうだと思うなぁ…
(以下、哲学くせーので省略.
ただ誤解してほしくないのは、芸術性を認めないわけじゃないということ。
別にデザイン性の高いゲームだってあっていいと思うし、評価もされるべきだと思うけど、
しかしそれは傍流であってほしい。
つまり、付加価値での選択肢として存在するのならいいが、
もはやそれを必須とした現在の潮流に疑義があるということ。
なぜならその表現は
ゲームでなくていいんだから、媒体としては。
この対談でそのことを再確認&確信できてよかった。
でも今の世代がプレイしたら、やっぱりつまらなく感じるんだろうなぁ、MOTHER3w
残念なことです。
たぶん映画やドラマと同視されてるんですよね。ゲームを。
だからそういった演出の前提がないと「これはクソゲーだ」となってしまう。
ゲームの根幹「しか」持ちえていないMOTHERはきっと耐えられないんじゃないかと思うのよね。
ゲーム層を広げるのはいいけど、
あくまで文法を理解させたあとで取り込む努力が必要だと俺はいつも思っています。
(曰く、パンピーとゲーム話をすることが何よりもつらい、の意。