dela grante

いわゆるひとつのにっきちょうです。
レッテル貼りで単細胞な二元論に落とし込むのが大好きなマスコミは、
きちがい=通り魔=オタ=非社会的(⇔我らマスコミ側一般人)
きっとこんな論旨をいけしゃあしゃあと述べるに違いない。
マスコミに限らず、割と人間なんてゆーものは大概が感覚で理解したつもりになるもので、
上記の等式を何の疑問もなく、絶対的なものとして捉える。
理解したつもりになる。

しかし理性的に考えてみてほしい。
「正直な人」と言われる人は、本当にまったく嘘を言わないだろうか?
きっとそれだけ慕われるくらいの人は、友人に気を使ってお世辞の一つでも言うでしょう。
「うそつき」と呼ばれる人は、嘘しか言わないか?
きっと嘘をつくのがうまい人ほど、ひとを信用させるために、本当のことを多く言いながら嘘を紛れ込ませるでしょう。
つまり、TPOによって、その人のイメージなんてものは一瞬にして変わる。
30点以下の赤点を取り続けた人が80点を取ると誉められるが、
ずっと80点を取り続けている人はあまり目立たないようなもので。
何かの物差しで人を測るなんてのは実に無意味なことなのだ。
(その一時だけの価値判断にはなろうが、その後の判断にはまったく役に立たない)

それでも人を判別するならば、
「自分の行動に誇りを持っているか」
この1点にかかっている。自分はそう思っている。
本人しか知りえない事実に対して、正々堂々としている人は信頼できる。
オタはその点においてまさにこの条件に符合している。
なぜなら社会的にはその価値規範はマイナーすぎて、
パンピーのように社会に立脚したすでに存在する価値規範に沿うのではなく、
まずは自らに立脚して自立しなければならないからだ。
簡単にいえば、「人には頼れないから、自分で頑張れる力がある。」
(…まあ最近アキバにいる連中はちょっと違うだろーけど)
親ですらきっと子供の価値判断の基準など知らないだろう。それを他人に測れることがあろうものか。
一般人という方々は「社会性」という言葉を盾に思考を放棄しているとしか思えない。
価値判断は自分でするものである。決して周りに沿うことではない。
そしてこれと、社会性を持つことは全く矛盾しない。

漫画ONE OUTSにこんな言葉があった。
「チームワークの名のもとに重い責任を負わされれば、ただでさえ貧弱な力量なのに萎縮しちまう」
「逆に活躍した時その時はその時で 他人のミスがムカついてムカついてしょーがねーし」
「他人なんかあてにしちゃダメなのさ」
「『俺が』なんだよ。『俺が』チームを勝たせるんだよ」
「『俺がやる』…って もしメンバー全員がそう思ったら ものすごいパワーになると思わねーか?」
「それが真のチームワークじゃねーのかな」

絶対的ではない価値判断に対して、
考える力を持つ人(オタ)か、そうでない(パンピー)か。
主体的か、受動的か。

「法律で決まっているから」じゃねーんだよ。ばーか。

いつもなら途中まで書いて消す日記だけど、まあ今回はいいや。
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